自転車と家族の日記

My Life with bicycle

それでも夜は明ける

最近、マーヴェリックとか、米国の近現代の映画を見る機会があった。
米国の歴史メモ

17世紀初頭に英国でピューリタン(カルヴァン派プロテスタント)が弾圧されたときに,新大陸(北米)にわたる人たちがいた.
ピルグリム・ファーザーズって素敵な名前です.渡った船はメイフラワー号.

その後も続々と移民が渡って行き,植民地が作られていくことになった.
当時,英国は新大陸は単なる原料調達地だって思っていて,綿花は栽培するが綿織物は作らせないとか,鉄鉱石は掘っても,鉄を作らせないとか,現地の人が納得できない政策を取っていた.また,言論封殺のための検閲も行っていた模様.
英国には議会政治の伝統があったのに,新大陸の人には投票権がない.それでもしばらくおとなしくしていたのは,フランスが怖かったかららしい.英国とケンカを始めるとフランスに漁夫の利を奪われてしまう.100年戦争で敗北した痛い記憶が残っていたのかも.

ところが,新大陸での英仏戦争(フレンチ・インディアン戦争)で英国側が勝利し,フランスを追い出した.
フランスの脅威がなくなった途端,新大陸と英国本国との仲がぎくしゃくしだした.

当時,東インド会社ってありましたよね.アジア貿易を独占し,お金儲けして英国本国がその売り上げで儲かるっての.
お茶もたくさん扱っていた.意外と新大陸の人は東インド会社のお茶を買わなかったようですね.そのために東インド会社は膨大な在庫を抱えることになってしまった.

そこで法律を作って,東インド会社からしかお茶を買えないってことにし,そこに関税をかけた.
新大陸の人は搾取されていると感じたに違いない.切れた新人々が,ボストンでお茶の輸入船から積荷を海に投げ込んだりした.現在でも話題になるティーパーティですな.

そんなこんなで始まった独立戦争.始まった年は1775年,司令官はワシントンです.
英国の正規軍と比べて烏合の衆の植民地軍ですが,何と言ってもモチベーションが違う.
結局英国本国の軍隊を破り,独立したのが1783年.

その後徐々に領土を南に広げ,1803年にはナポレオンからルイジアナを買収.
(ルイジアナはルイ14世の名前にちなんでつけられた地名だとのこと.)

ところが北と南では考え方が違う.北は都市部に人々が集まり,工業化が進んだのに対し,南部は温暖で,綿花や砂糖などのプランテーション(商品作物)栽培が盛んだった.

工業化された土地では肉体労働よりも教育が大事.機械を動かさないといけないですからね.
一方,プランテーションが主要産業だった南部では,肉体労働が必要だった.
綿花の収穫とか,サトウキビを採ったりするのは,手作業です.

北部では黒人も教育を受けて,白人と同じ生活をする人も出てきた.
南部では奴隷は奴隷のままでいてくれた方が何かと都合が良い.

そんな時代の映画です.舞台は1841年の米国


北部で自由黒人として暮らしていた人が,白人にだまされて南部に連れて行かれ,奴隷として働かされた物語.
白人の横暴さに腹立って,気分が悪くなります.

この後に米国では南北戦争が始まった.南部へのヨーロッパの国が干渉するのを避けるために,リンカーンが奴隷制度廃止のための戦争だとした.奴隷開放宣言がされたのが1862年.約150年前です.
奴隷開放って呼び方はいかにも白人の上から目線の呼び方ですな.

米国で未だに人種問題が大騒ぎになるのも分かる気がしますね.
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  1. 2015年02月23日 23:30 |
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