自転車と家族の日記

My Life with bicycle

近衛文麿

GWに読んだ本
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十五年戦争の初期に首相を務めた近衛文麿の解説本です。
淡々と記録が綴られているので、読むのに骨が折れた。
読んでて面白くはないですね。ただ、、戦争まで行ってしまう時代の迫力は感じます。
日本を太平洋戦争に導いた最大の責任者は、この人じゃないかな。
近衛氏の後、東条英機が首相になったのは、すでに戦争が既定路線になってたはずですし。

近衛文麿は1891年(明治24年)に、摂関家である藤原氏の長男として生まれた。能力も高く、エリート街道まっしぐらだったようです。
彼が育った時代には、日露戦争や条約改正、韓国併合があった。
日本が必死で欧米と対等になろうと成長していくなかで、戦争が当たり前のようにあり、国力のない国は容赦なく搾取され、保護国にされていった。
こういった時代背景が近衛氏の思想に大きな影響を与えたはずです。

近衛氏の大正時代の著作には、国を豊かにすることで貧困を防ぎ、弱者救済を行う。それで自由になった個人が、自発的に国家の発展に尽くすことが理想である記されていたようです。
ここからは私利私欲を考える人ではなく、純粋に国民のことを考えていたと思えます。
ただ、育ちが摂関家なんで、どうしても上から視点の話になって、庶民支店を持つことは難しかったようです。

近衛氏は若くして貴族院に入り、元老西園寺公望に気に入られてどんどん出世。
政界に入って、貴族院改革や教育改革で国民学校制度を作ろうとしたのですが、これは彼の啓蒙主義的な思想から来ているのでしょう。

その後、日本は第一次世界大戦で世界の大国となったものの、戦後の大不況で国内は大混乱。
軍部の力が大きくなってきて、五・一五事件や二・二六事件のような暴力によって社会を変えるという勢力が大きくくなった。
やがて、満州事変が起こり国際連盟を脱退し、国際的にも孤立することになった。

そんな中でついに首相になったのですが、ほぼ同時に盧溝橋事件が起こったという最悪のタイミングでした。
最初は不拡大方針だったのですが、通州事件みたいな中国人による日本人虐殺もあって、後に引けなくなったんでしょうね。
どんどん戦線を拡大させ、戦争状態にしてしまった。

中国側は第二次国共合作で、国民党と共産党が共闘するし、米国、英国からの支援もあるので強気です。
蒋介石は重慶に政府を移して持久戦にしようとした。
そこでやっちゃったのが、「国民政府を相手にせず」という第一次近衛声明です。
戦争の相手と話し合わないってことだから、終わらせることができない。

そのうち東亜新秩序をぶちあげて、親日的な政権を作り、欧米と違うアジアの平和をつくっていこうとした。
とはいえ、中国との対等な関係は明確に拒んでるので、共存共栄と言うよりは侵略と思われても仕方ないでしょう。

この大東亜共栄圏にこだわって、日中戦争の収束に失敗したのが米国を怒らせた理由とのこと。
国内では大政翼賛会ができて、国家社会主義体制になり、ファシズムへの道を一直線という状態になっちゃった。

近衛氏はエリートですから戦争が好きなわけじゃなかったでしょう。米国との開戦も最後まで避けようとしていた。
だけど、その流れを作っちゃったのは近衛氏自身だったんですね。
自らの思想を臣民に伝えて良い世界を作ろうという「上から視線」の考えが、最終的に戦争に結びついちゃったようです。

やっぱり、政党や議会で議論するってことは大切なようです。
庶民感覚がわからないエリートが国をを動かすと、とんでもない方向に行ってしまうんでしょう。



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  1. 2016年05月05日 18:20 |
  2. 読書と映画の記録
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